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霧島永水自治公民館館長

​四本廣美さん

「永水の今までとこれから」<後編>

​牧神相撲や歩こう会など、コロナをきっかけに地域のイベントが次々と中止に。個人主義が進行する中、それに嫌気が差して東京から移住してきた担当Aは、なんだか寂しい思いです。とはいえ、地域のパワーが落ちてきていることも事実。

四本さんのお話を聞いて、現代の”結”について、考えていきたいと思いました。

かつては盛況だった行事が、少子高齢化とともに変化

四本廣美さん1

――以前は“歩こう会”もあったと聞きました。

 

「平成7年くらいに、山村留学の広報啓発のために始まりました。“永水ぐるりグルメ歩こう会”といって、北永野田駅前からずっと歩いて、永水の史跡を巡りました。大規模の茶畑を通る時は、お茶の機械を並べてもらったり、酪農家さんのところで乳搾りをしたり。最後は手打ち蕎麦のふるまいがありました。南日本新聞に掲載してもらって、しかも無料だったから、1番多い時は500人くらい集まったんですよ。企画はほとんど私がして、みんながそれに枝葉をつけてくれました。ゴールをしてから抽選会をやったり、馬踊りをしたり、薩摩剣士が来てくれたり本当に色々なことをしたんです」

 

――確かに参加するには楽しそうなイベントですが、開催側は相当大変そうですよね。

 

「地域のパワーもお金もすごく使いました。PTAはもちろん、地域のおじいちゃんやおばあちゃんにも手伝ってもらって。百笑館ができたのも、本当にこの地域の力でしたね。コロナの前まで続けていました」

 

――コロナの前後で地域の変化を感じていますか?

 

「コロナもそうですが、山村留学の実施委員会にしろ、PTAにしろ、とにかく有児家庭も児童数が減ってきたので、何かをしようとした時、力がないんです。もう、あの頃とは状況が違いますし、地域もどんどん高齢化してきたので、山村留学の実施委員会だけではダメだということで、歩こう会もある時期から公民館の主催事業に切り替えました。もともとはあれもしよう、これもしようと様々なことをやってきましたが、その中でアンケートを取ったり、反省点をまとめたりしていく中で、とにかくものすごいパワーを使うので、地域の人たち自体が本当に楽しめる行事に変えようという話になったんです」

 

――それが今のながみず秋祭りですね。妙見神社で行われていた牧神相撲も見てみたかったです。

 

「神社そのものの存続というか、氏子の組織自体が本当に高齢化しています。神主をしてくれていた西田さんが亡くなったこともあります。西田さんは地域のいろいろなことに協力してくれる人だったから、健在の頃は相撲の神事を最初から最後までやってくれていました」

 

――最近はどこも同じ状況で、神主さんが神社をいくつか掛け持ちしていると聞きます。

 

「やっぱり西田さんが亡くなって、地域の人達といろいろな話をする中で、わざわざ外部から来てもらって続けていくより、止め時のタイミングかもしれないという話になったんです」

 

――私が移住してきた時は、もう中止になっていました。いつ頃から続いてきた行事なんですか?

 

「ずっと昔からあったけど一旦途切れた時期があって、昭和50年代に地区公民館ができたタイミングで、公民館の事業として復活しました。自分もずっと相撲を取ってきたし、赤ちゃんの土俵入りも全部やってきました。もともと日本相撲にいた消防局職員が加勢に来てくれたり、霧島関が来てくれたりもしました」

 

――霧島関! 子どもながらにカッコいいなあと思って観ていました。本当に盛り上がっていたんですね。体験できず残念です。

 

「県内でやっているところも、だんだん無くなっています。7、8年前に私と他の役員とふたりで薩摩川内に視察に行ったときも、中心となっていたのは年配の方でした。熱い情熱を持って取り組まれていたけれど、その方も数年前に亡くなられたみたいです」

 

――行事がなくなっていったのは、やっぱり大変だという声が大きかったんですか?

 

「そうですね。牧神相撲を9月にやっていたので、敬老会は2月、3月に開催していたのですが、インフルエンザの影響や学校行事も多い時期で。結局役員を中心に、一生懸命公民館で段取りをして70歳以上の方に参加をお願いするのですが、だんだんと役員が招かれる年齢になってきました。高齢の方が敬老会にこぞって行こうという意識も薄れてきましたし、参加がこれだけ少ないなら開催する意味がないよねという話になりました。実際、もう運転できない方もいますし、公民館でするとなるとトイレが2階ですから」

 

――過去にはたくさんの人が集まっていたんですね。

 

「大窪保育園の太鼓の演奏や、マジシャンを呼んだり深川まりちゃんやジミー入枝さんに来てもらったり。楽しい企画をいっぱいしました。来てくれた人は楽しんで帰るけど、やっぱり参加人数が減りましたね」

 

――開催する側のパワーがだんだん減っていき、参加者も減っていった。その原因はなんだと思いますか?

 

「時代でしょうね。ちょっと冷めた言い方になるけど、今はテレビもあるし、ネットもあるし、自分たちでどこにでも遊びに行けるし、わざわざ誰かと一緒になって何かをすることで楽しむのではなく、個人個人の楽しみ方に変わってきたんでしょうね。昔は農業をするにしても、機械じゃなくて手作業だったから、自分の家をやったら次は隣の家の人と、みんなで順に回していったんです。もう、今は“結”の生活をする必要はなくて、みんな自分で機械を買う。お金さえあればなんでもできてしまうので、自分の力ですべて解決しますよね。小さな農家の人でもみんなトラクターもコンバインも持っています。結の風習がなくなったから、人との繋がりも薄くなってきて、人を集めることはよっぽど難しくなりました」​​​

嬉しい! 楽しい! 幸せ! が口癖になるように

四本廣美さん2

――現役世代にしてみると、どんどん人が減っていってしまうことに危機感を感じています。

 

「うちは息子が帰ってきて、孫と一緒に生活していますが、地域で3代で暮らしている家庭はすっかり減りました。むしろ、結婚していない人も多いし、結婚していても子どもがいない家庭も多い。子どもが2、3人いたとしても、誰も地域に帰ってこない。みんな土地があるのに、わざわざ国分や県外の高い宅地に家を作っていると聞きます」

 

――もうどこにいても買い物ができる時代に、こんなに広い土地があって、なんでわざわざ坪単価が高くて、隣りが近くて、狭い場所に住むんだと思いますか?

 

「こういった広いところでのびのびと、誰にも干渉されず、親子だけでなく近所のじいちゃんばあちゃんとの付き合いもできる。こういう生活が一番いいと思うけど、やっぱりいろいろな考えがありますからね。病院が近い、学校が近い、お店が近い、駅が近い、そういったことを求める人が増えたんでしょうね」

 

――利便性が上がって、楽になったようで、仕事は忙しくなった気がします。ただ、永水は農業振興地だと聞いたのですが、宅地をつくるのは難しくないんですか?

 

「農振地除外申請をすればできないことはないんです。それに、北永野田駅の周辺に、宅地にできる公民館の土地がいっぱいあるんですよ。無人駅だけど日豊本線が通っていて、都城にも鹿児島市にも一本でいけます。下水もすぐ排水にもっていけるところがあるし、土砂流出もありません。北永野田駅周辺の開発も頭に入れてくれんやと市議会の委員会に訴えています。日当たりもいいですし、家をつくるにあたっての条件も整っています。車なら鹿児島空港まで25分、都城も20分で行ける。ここを活かさない手はないと思います」

 

――じゃあ、もし永水に引っ越したいという人がいて、北永野田周辺に家を建てたいという希望があったらできるということですか?

 

「財産管理委員会で協議をすれば、土地を売ることができるので、宅地にすることも可能です。今も、家を潰して更地になっている、駅から10秒の土地を地域の人が買うことになっていますし、道路沿いにもいっぱいあります。台風が来ようが、土砂崩れも川の氾濫もなく安心安全。桜島の降灰もほぼありませんし」

 

――永水の良さをわかってもらって、UターンやIターンの方が増えると嬉しいですよね。永水に移住してきたと話すと、他の地域の人から永水は団結力が強くて、すごくいいところだとよく言われます。地域で何かをしようとしても、誰も乗ってきてくれないので永水が羨ましいと。

 

「山村留学を始めたことで、地域が一体となっていろいろな行事をしてきたので、それを皆さん見てらっしゃるんだと思います。新聞やテレビにも取り上げてもらったので」

 

――だからこそ、だんだん地域の人がバラバラになってしまうのは、すごくもったいない気がします。団結力の強さも永水の特色だと思うので。

 

「やっぱり地域の力なんですよね。嬉しいことですが、外部からは『よくやるよね』と言われてきました。私が仕掛け人で、地域の人たちのパワーをいっぱいもらいました。でもやっぱり、私もみんなも年を取りました。70後半、80を超えた人たちに、今から力を求められないですよね」

 

――長く永水に暮らしている四本さんから見て、永水の魅力はどういったところだと思いますか?

 

「まずは人情でしょうね。多くの人が他人のことをあまりごちゃごちゃ言わないし、いざという時はみんなお互いに助け合っていこうという気持ちです。そしてやっぱり綺麗な水ですね。人間が生きていく中で安心して飲める水があるのは本当に素晴らしいことです。それから、今の時代は道路のアクセスが良くないとまずいけれど、どんなに大きな災害が世間で起きても、この県道2号線が潰れることはまずありません。つまり、利便性も悪くないし、自然災害にも強いということです。霧島山が噴火したときも、こっちにはほぼ降灰はなかったし、桜島の大噴火があっても、溶岩や津波が来ることはありません」

 

――私もハザードマップを見て、ここなら安全だと移住してきました。安全に暮らせることは、生活の基本だと思っています。では最後に、今後永水がどうなっていくことを望んでいるか教えてください。

 

「世帯数が減っていっても、やっぱりそこに住んでいる人たちはお互いに、嬉しい、楽しい、幸せを口癖に、みんなで協力しあって、良い地域、良い生活が送れるような取り組みをしていければと思っています。特に、役職を持っている人たちは確かに大変ですが、やっぱり誰かがやらないといけないし、誰かがやることで変わっていける。ダメ、ダメじゃなくて、何事も前向きに取り組んでいきたいですね」

 

――本日は貴重なお時間、ありがとうございました!

永水地区公民館

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